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夕暮れは美しい
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ある人からの話なのだが、汽車でドイツを旅行されたとか。車中で、一人の上品な隣り合わせに。聞けば、ご婦人の夫は有名な数学者で、第二次大戦の前には、各国から来た留学生が毎晩のように遊びに来ていたと。ご婦人は、自分の子供のほかに、沢山の子供ができたと喜んでおられたが、第二次大戦が始まる。彼らはそれぞれの国に帰って武器をとる。ドイツと戦った青年も。やがて戦争は終わり、老いた夫は亡くなった。でも、かっての夫の弟子たちが、時折訪れてくれる。皆、その国では立派な数学者となっている。彼等が、昔を忘れずに顔をみせてくれるのが何より嬉しいと、ご婦人は語ったとか。 車中で話を聞いているうちに、陽が落ちた。車窓ごしにその夕暮れの景色を眺めながら、そのご婦人は「夕暮れは一日のうちで一番美しい時間。そして晩年は、人生で一番美しい時間ですよ」と呟かれたとか。 ドイツ語では、小春日和のことを「老婦人の夏」…Altweiber sommer…というとか。長い人生の起伏を経験した者だけに与えられる平穏な時間ということらしい。
別な話も。その人のご父君は、第二次大戦の前に、若くして会社を興し、さらに戦後の四十年代にかけて、各地で「土地コロガシ」のような形で、大いに資産を築いたとか。芦屋に豪邸のほかに、各地に別荘をもち、また愛人も囲っていたとか。ワンマンの成功者である。 しかし晩年は、別宅の愛人に先立たれた後は、昼夜が逆転。うつ病もみられ、また自分が老いて、日に日に体が不自由になって行く不満を、妻や子にぶつけつづけたとか。夜中の三時、四時に妻を起こしたり、電話で子供を呼び出しては怒り狂う有様だったとか。 家族全員が、その方の機嫌をとるのに戦々恐々の状態が一、二年続き、同情する肉親も誰もいなくなったまま、最後は十日ほど入院して亡くなられたとか。朝、看護婦さんが様子を見に行くと「夜中にベッドで一人死んでいた」という寂しさとか。 その日、ご家族が行って、死に顔をみると、皆が驚くほど悪鬼のような形相だったとか。その人は、ご自分のご父君のその死に顔を思いながら、「人生のゴールとはなにか?」「人間の寿命はなぜあるのか?」「人は生きるだけで満足せずに、なぜ幸せを求めるのか?」「今から、死に至るまで、何をすればよいのか?」という問いを発しておられる。
介護事業者として、ホーム事業者として、日々、ただ目先の介護、極論すれば目先の処理にのみ走り回るのが事業者の現実ですが、現場において、さまざまに見聞きすることも多く、「やがて行く道」であれば、省みて思うことも多々あります。現実は、なかなか営業用の美辞麗句などの世界ではありません。「存在」にかかわる問題があり、それに目を瞑りながら……、と。「老・病・死」だから宗教も発生するのでしょうが。 自分の死に顔がどのようなものか、第三者の目で考えることは、なかなか恐ろしいものがありますが。しかし、……と。
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